リンクを張られるという奇特な方がいらっしゃれば,
<A
HREF="http://mahopapa.hauN.org/d/YYYYMM_X.html#DDZZ[a-z]>
という感じでお願いします。
#X=a(上旬), b(中旬), c(下旬)Z=各段の番号
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_ 昨夜NHKで日韓首脳会談のニュースを見ていると, 韓国大統領が教科書問題について
と熱弁をふるっているのを聞いて,
飲んでいたコーヒーを吹いてしまったので謝罪と賠償を要求する。
_ なんというか,仮にも民主主義国家を表明している国の国家元首が 日本政府に対して検閲を要求するだけにとどまらず,
と,よりにもよって首脳会談の席上で発言することの重みをこの人は理解しているのだろうか?
_ ぶっちゃけこの発言一つをとっても,韓国,少なくとも現在の韓国政府は 民主主義国家の指導者としてまだ成熟した状態ではないと言うことを 全世界に向けて白状したに等しい発言だと思います。
_ 結局のところ,これだけ騒いでいる教科書問題についても, この程度の認識とメンタリティで騒いでいるのだから話にならない。
_ しかも今朝の朝日新聞の朝刊でもうれしそうに
と題して,現状の教科書検定制度では韓国の意志が反映されないかもしれないことに韓国側が不満を持っていると報道し, これについて批判する意見を全く表明していないところを見ると
と判断せざるを得ない時期が来たか*1という気がしています。
*1: いしいひさいちの漫画が読めなくなることだけが残念なのですが…
_ これまでは「朝日の意見も朝日の意見。他の意見については私が伝えればいい」と思っていたのですが,よもや日本の報道機関が
意見を容認するような記事を書くとは思いもよりませんでした。
_ 多種多様な意見が世の中には存在し, それらの意見をつきあわせて議論していくことで お互いがより納得できるような妥協点を見つけていくことこそ 民主主義の根本原理だと思っています。
_ そして日本は少なくともその建前だけは守ろうとあがいて, この戦後60年間過ごしてきたと思っています。
_ そうしてがんばってきた先人たちの業績と, 民主主義国家の一員として教育を受けてきた自分自身のプライドをかけて,
て行きたいと思います。
_ その第一歩として,彼らに
でも
とだけは言い続けましょう。
_ というわけで,苦言を呈していただけたようなので感謝。
_ 確かに「民主主義を守ろう」は言い過ぎましたかね(^^; 頭に血が上った状態で,よく見直しもせずに文章を書くとろくなことにならないと言う良い例*2です。
*2: ちなみに最初の表題は「民主主義国家????」というものでした。どっちが良かったですかね?え?どっちもダメ??失礼しました(--;
_ 日本の検定制度も結局は検閲じゃないか,というのはまさにご指摘の通りだと思います。広義の意味で取れば間違いなく検閲に類する行為だと思います。
_ しかし,教科書というのは教育の根本を担うものですので, 少なくとも自然科学の分野においては その内容に誤りがないのかどうかを検証する必要はあるかと思います。 また歴史を初めとする文系分野においても, 誤りだとわかっている内容など思想や認識がどうこう言う以前の問題について, きちんとした内容のものを提供しているかどうか検証するなり, まだ学会でのコンセンサスが取れていない事項について その旨がきちんと表記されているかどうかを検証することは必要だと思います。 ですので,私は
という意味での検定制度は必要だと認識しています。
_ 問題はそれを「国家が」恣意的に悪用して, 思想統制やら誤った内容の流布を行うことだと思いますので, その部分を国民がチェックする必要は必ずあると思います。 そして,現状複数の教科書が存在すると言うことは, 国家による恣意的な検閲に対する最低限の予防策なのではないか*3と思っていますが,きっともっと何かいい手段や方策があるのでしょう。 これについても,国民がもっと議論していくべき問題だと思います。
*3: 少なくとも政治的な意図の元に統制されている国定教科書制の国に 文句を言われたくないという点には同意していただけるかと。 それと小泉さんは言ってないと思いますが,町村外務大臣は中国の教科書の内容について一言言ったことがありましたですね。
_ 「我が闘争」がいまだに発禁処分になっているというのは知りませんでした。 であるとしたら,それはドイツに対する批判の対象とされるべき事項なのではないでしょうか?
_ 「我が闘争」の何がその時代の人々を引きつけ, それによって何がもたらされることになったのか。 その部分を正しく議論し,そこから何かを学んでいくためには, 「我が闘争」の内容は当のドイツ人こそ一番知らなければならないことではないかと思います。 そして,それこそが
ということなのではないでしょうか? ぜひ考え直して発禁処分を解除していただきたいものです。
_ 教科書の内容と言えば,アメリカでも進化論を教えない州があったりするわけです。 こちらは宗教的な問題などが絡んでくるので, さらにややこしくなったりするわけではあるんですが, 現実問題としてその州の人民の大勢の意志としてそのような, 私の認識からすれば現代の科学を理解する上で極めて重要な知識についての記述が明らかに削除されているような,教科書ですら採用されているという点や, 同時に賛否両論投げかけて議論がなされているという状況自体は ,逆に好ましいとも言えるのではないかと思っています。
_ 繰り返しになりますが,最大の問題は,このような点が指摘され,議論される状況下にあるかどうかです。 様々な価値観の元に下される複数の認識について,それぞれの問題点が指摘され,議論されているのかどうかが, その国が民主主義国家としてどの程度成熟に近づいているのかどうかを判断する指標となるのではないでしょうか?
_ おっしゃるとおり,日本の現状だってどの程度「理想的な」民主主義国家に近づいているのかは怪しいものです。 ですが,
といえば,そうではない点についても同意いただけるのではないかと思います。
_ まだ足りない点があれば指摘し,相違点があれば議論をする。 そのような態度を続けることこそが民主主義を守っていくことであり, より成熟した民主主義社会を築くために必要なことなのではないかと思っています。
_ ついこの間まで,日本でも太平洋戦争当時の日本政府について肯定的な見解を述べただけで,社会的に抹殺されかねない雰囲気がありました。聞くところによると,ナチスに関する言論に関してはドイツも似たような雰囲気だそうです。おそらく「我が闘争」発禁という点に関してもそう言った流れなのでしょうが,前述の通りそれでは「歴史に学ぶ」機会を逸してしまうことになります。
_ ドイツにしろ,戦前の日本にしろその政治形態は(少なくとも建前上は) 当時の民主主義的な手順に乗っ取って形成されたものです。 ということは,どういう点を見逃すとあのような状況になりうるのかと言うことを正しく知らなければ,同じ轍を踏む可能性があると言うことです。
_ 「一部の軍の暴走」「天皇制が悪い」「ヒトラーが狂ってた」このように一部の人間に責任を押しつけてしまい,民主主義国家として生まれ変わった現在であれば問題ないんだ,などと逃避してしまうようなことになってしまったら, それこそ民主主義の崩壊に近づいてしまうことになるのではないでしょうか?
_ この数年で日本もだいぶ情勢が変わってきたとは思います。 以前なら小泉さんはもちろんのこと,町村外務大臣も何回首になったかわかりません。彼らの発言をヒステリックにならずに客観的に受け止めて,事の真偽を確かめようという土壌が少しは育ってきたと言うことなのか, それとも単に小泉さん個人の資質により,閣僚が首にならないようになっただけなのか。そしてそれは長期的に見て良いことなのか悪いことなのか。きちんと議論をしなければいけないと思います。
_ そう言った意味で,親日的な発言をしただけで社会的に抹殺されてしまったり,関係者に土下座をさせられてしまったりするような社会が民主主義社会として成熟しているとは言い難いと思うわけなのですが, それもこれもただの民衆レベルの話であって, 仮にも民主主義国家を表明している国の元首や指導層は 「少なくとも建前上は守ろうとするだろう」と期待していたわけです。
_ ですので,今回の韓国大統領の発言には大きく失望したわけです。 苦言を呈するにしても,他に指摘する点があるだろうと。 そのような発言を平気ですると言うことは, 民主主義国家の元首としてはあまりにもあまりなんではないか?と。
_ さらに,いろいろとその意見の方向性については異論はあるものの, 少なくとも言論の自由については日頃熱弁をふるって守ろうとする姿勢を見せていた朝日新聞までもが, この大統領の発言に対して何ら批判を行わなかったことにたいして憤ってアツクなってしまったわけです。
_ って,まだまだだいぶアツイですな(^^; すいません。 なんか某所でも論客と紹介されてしまって反省していたんですが, あんまり生かされていませんねぇ。いかんいかん。
_ というわけで,代替になる新聞の候補なんですが, おすすめは産経新聞ですか。どうなんでしょうね? あれはあれで右に偏りすぎる場面が出てくるというイメージがあるんですが, この辺はやはり私自身が受けてきた教育の弊害なのでしょうか? 一番バランスを取って客観的に議論してくれている新聞ってどこなんでしょ?
_ 個人的には西原の漫画が読める毎日というのも魅力なんですが<何を基準に…
_ 某所とか経由でこの辺のブログにたどり着いてちょっと思ったこと。というか,向こうでの議論とはほとんど無関係なんですが,最近の仕事に関係していることを少しだけ。
_ トニオさん曰く,
僕にとっての真理とは当座役に立てばいいのです。 事実、今真理とはそういうものです。 今現在僕らは当たり前のようにニュートン力学を使っていますが、 量子力学からすればニュートン力学は誤りです。 しかし、量子力学はニュートン力学みたいに日常の物事を説明しきれているわけではないのです。 だから、この二つを今現在僕らは矛盾も感じずに併用しています。 我々が信じて疑わない科学ですら、そんな状況であるというのに、絶対的な真理なんて誰が信じるんでしょうか?
_ ニュートン力学と量子力学なんてたいそうなことを持ち出さなくても, その辺のものさしで事足りますが,そのように限定して得られた値を「真理」として表現して良いものなのかどうかについては疑問を感じます。
_ とりあえず,
と言う話を考えてみましょう。
_ 一応その辺で売っているものさしでも, 先をたどっていけば何らかの基準を用いて校正されたものに準じて目盛り付けがされていることになっていますが,そこには目盛り付け作業における誤差と測定時における誤差というものが存在します。
_ で,その元々の基準とは何かというと, 昔はメートル原器というものが定められてそれとの比較で 目盛り付けが行われていましたが, 現在「長さ」というものは光速を用いて定義されておりますので, レーザーを用いて測定されたものが基準となっています。
_ これは光の干渉作用を利用してその長さを測定しますので, 普通にメートル原器と比較してどうこうするよりも誤差が小さくなりますし, 温度などで伸び縮みしたり削れたり錆びたりてしまうような危険性のある メートル原器を基準にするよりも ずっと正確な測定が可能となります。
_ しかし,より正確になっただけで誤差が存在しなくなったわけではありません。 つまり,元々の基準がそういうものですから,さらに工作精度や測定精度の落ちる状態でものさしを使っても,正しい値なんて測定できないことになってしまいます。
_ なんてこと言われても,何となく納得いかないでしょう?
_ さらにこのような現状をふまえて,もう一段階考えてみましょう。つまり
ということです。
_ こう言うとたぶん普通の人は「え?何を言ってるの?」と思うかもしれません。 でも,よくよく「誤差」というものを考えてみましょう。
_ 誤差の定義はその辺の教科書ではこう記されてると思います。
_ さて,それでは問題です。前述したとおり少なくとも現状では 測定に必ず誤差が伴ってしまい,真の値を求めることができません。 ではこのような状態で
_ もちろん答えは「絶対に誤差を求めることはできない」です。
_ こうなってくると「こんな誤差すら求められない状態で,真の値なぞ議論することに意味があるのか?」とか,「永遠に求めることのできない真の値に意味はあるのか?」とか思えてきませんか?
_ でも,今ここにある消しゴムの長さを真の意味で正確に測定することは無理であっても,消しゴムの長さは明らかに存在します。真の意味で測定できないからと言って,その真の値というものが消滅することはないのです。
_ つまりはそういうことです。
_ このあたりの矛盾を概念的にも解決するために, 現在自然科学の分野では「誤差(error)」という概念は用いずに, 「不確かさ(Uncertainty)」という概念を用いることが提唱されています。
_ この不確かさという概念は,極めておおざっぱにわかりやすく言うと, 今用いている測定法においては
と言うものです。真の値がいくつかはわかりませんが,真の値が存在することだけは保証しているわけです。
_ 実際に,不確かさという値を出すためには,測定における各操作や測定器自身の精度などにまつわる不確かさについて検証を行い,これらの要素すべてを加味した形で測定全体の不確かさを算出することになりますが, これらの作業はすべて
ことを前提に行います。しかし,それは
のも事実です。もちろんこの作業が不毛であるなどと批判することは無意味だと言うことは,もうおわかりいただけるかと思います。
_ さらにもう一つ別の話をしてみましょう。
_ 先日報道されたのですが, 時間測定の精度がこれまでよりも三桁高い精度で測定できるようになりそうです。
_ これはどういうことかと言いますと,
レベルの測定が可能と言うことです。
_ 実はほとんど知られていないことだと思いますが, 現在様々な場面で用いられるている原子時計でも 飛行機程度の速度における相対性理論による時間の遅れ現象を十分に観測できる精度を持っています。
_ なので,GPSなどで用いられている人工衛星では 相対性理論による時間の遅れを常に補正する必要が出てきます。
_ 現状でもそんなにすごいのに,それがさらに三桁向上したことで, 人間の歩くスピードにおける 時間の遅れが測定されてしまうだけではなく, その時計が置かれている高さが少し変化しただけで, 重力による影響を無視できなくなってしまいます。
_ と言うことはどうなるかというと
という懸念が出てきてしまいます。
_ ですので,我々が日常的,あるいはその目的に必要なレベルの精度まで落とした部分でのみ議論を行わなければならない場面が出てくることになってしまいます。 事実上そのような超高精度な時計が存在しても宝の持ち腐れとなる場面の方が圧倒的に多いでしょう。
_ だからといって,そのような精度の時計は絶対に必要ないのでしょうか? そんなことはありません。この精度の時計が存在するからこそ, 相対性理論を実験的に容易に検証することが可能となりますし, その他の物理現象についても,様々な新しい知見が得られるようになることが期待されます。
_ つまりどのような精度のものを,目的に応じて使い分けていくかどうかが問われていくわけです。秒単位の精度しか求められていない事象を議論している場面で,たとえ測定できるからと言って重力による時間の遅れを加味して議論するのはただの無駄です。しかし,だからといって超高精度の時計の存在を否定し,議論の範囲を無意味に制限するのも愚かなことです。
_ ここで先ほどのブログでの議論にちょっとだけ首を突っ込まさせていただきますと,結局のところ上の不確かさと誤差についての議論に似たようなものではないかと思います。
_ 「真の値」が得られ無いからと言って, その存在を否定したり得ようという行為を否定できるのかという問題と, 現在与えられた課題を得られた測定値, つまり「その測定法のもつ不確かさの範囲内では正しい値」を用いて 議論することの是非は, 本来別個の問題として議論されるべきであるとおもいます。
_ そして,これは「真の値」を「真理」と置き換えても成立するのではないかと思いますが,「その測定法のもつ不確かさの範囲内では正しい値」までも「真理」と読み替えて議論してしまっては多方面で齟齬が生じてしまうのは致し方ないと思います。
_ 限定領域でのみ成立する「値」は,その領域を明確に規定してから用いるべきです。つまり,現在の問題点を議論するためには, どの範囲のどの問題について解決しなければならないのか。 まずはその境界領域を設定することこそが一番重要なのではないでしょうか?
_ 以上,日々真の値に近づくことを生業として奮闘している人間の戯れ言なのでした。
_ そうです。おっしゃるとおりです。その系内における測定値はその系内においてのみ正しい値です。でも,それこそがこの場合における真の値であり,真理とも言えるものです。 なぜなら,
と願っているからです。
_ 時間計測の例でもお話ししましたが, 突き詰めて厳密に考えていくと, どんどん真の値と思われるものそのものが幅を持った存在のように見えてきて, 今の状態を説明するためにはどの値を用いればよいのかわからなくなりそうになります。 だから実際にその値を「使って」何か話をしようと思えば,
わけです。今自分が立っている場所や系はどのような状態なのか。 どのような計測系で測定し,何について議論を行いたいのか。 値を「使う」というのはそういうことです。
_ 例に出ていた「光速に近い速度で移動しているものと静止しているもの」のように現実感覚から離れた細かい話を考えるとついつい混乱してしまいがちになりますが,結局のところこの両者の違いは, 「温度20度の部屋の中で静止しているものと50度の部屋の中で静止しているもの」の違いと本質的には同じものです。20度における値が真で50度における値が偽であるなんて誰が言うでしょう?
_ また,同様に20度と50度で状態が明らかに異なってくる場合において, この二つの条件下において測定された値を比較して議論して, いったい何がわかるというのでしょうか?
_ 結局のところ,現在の我々に見えてくるのは「その系における真の値」にすぎませんが,それこそが私たちのチームが日々求めている「真理」です。
_ もちろん自然科学一般において探し求められている真理とは, その系その系において得られた「値」を「道具」として使うことで求められる さらに普遍的な法則です。
_ しかし,我々は残念ながら,その「それぞれの状態における真の値」すら求めることができません。 その理由にはもちろん量子力学の世界で言うところの不確定性原理も入ってきます。 ですから「この中に真の値が存在するであろう」範囲を求めているのですが, 日々その幅を狭めることに奮闘しています。
_ では,なぜ求められもしない真の値について, しかも条件や何かによってどんどん変わってくるような測定値を計る必要があるのか。と問われれれば,この値を「使って」さらに一段階上の真理を知ろうと思っているからです。
_ その値を何か別のところで使おうと思った場合には, その使い方に応じた条件における値を決定する必要があります。 それは「使う」ために便宜的に設定された値ですが, 測定された値そのもの,現実的には不確かさの幅を持っていますが, はその条件その条件における「真の値」です。
_ そして物理屋さんなどは,これらの「小さな真理」を積み重ねていくことで,さらに「大きな真理」を導き出そうとしています。
_ そしてそのようにして得られた「大きな真理」は「さらに大きな真理」を 生み出すための礎となります。自然科学というものはそのようにして構築されてきたものです。
_ まだ我々人類の能力は小さなもので, すべてを覆い尽くせるような究極の真理*1に到達することが本当に可能なのかどうかさえわかりません。しかし,たどり着けると信じて日々精進しているわけです。
*1: 一説によると,万物を表す究極の真理は「42」だそうですが<ぉぃ
_ とここまで書いてから,もう一度そちらの議論を読み直して思ったんですが, 哲学などの分野では真理というものは使われて広まらないと意味がないものなんでしょうか?
_ 私は骨の髄まで自然科学系の人間ですので, そちらの世界の常識というものはよくわからないのですが, 先ほどもちらりと書きましたとおり,
という信念のようなものをよりどころに日々の研究活動を行っております。
_ 逆に,と言うか極端な話を言うと
とまで思っていたりする種類の人間です。
_ そのような立場から見ると真理かどうかの判断基準に 「使える,使えない」「役に立つ,立たない」などが採用されることには 大きく違和感を感じるのは事実です。
_ 何かを行うために必要な「使える解」は所詮限定された空間における近似解です。そのようなものを求めたいのであれば, 境界条件を厳密に設定してその「場」を定義すべきだと思います。 そうではなくまだ認知されていないであろう未知のもう一段階上の真理, 単により境界領域が広がっただけかもしれませんが,を追い求めるというのであれば,現時点で役に立つとか立たないとか言う判断基準を持ち込むことは, あまり意味があるようには思えません。存在すら認知されていない真理の有用性など誰が判断できるのでしょうか?
_ そもそも使えるための近似解を求めたいのか, それとも限りなく真の値に近い厳密解を求めようとあがいているのか, いったい何を前提として話をしようとしているのかについて共通認識がなければ建設的な議論なんてあり得ないのは, 自然科学,社会科学問わず同じことですよね? 枝葉末節にこだわらずに,まずそこから話をすることこそが重要なのではないのでしょうか?
_ 釈迦に説法とは思いますが, 相手の「弱点」を探そうと「言葉の裏」を読むのではなく, 相手の「意図」を探すために「言葉の裏」を読む必要があるのではないですか?
_ 議論は相手を言い負かすためのものではなく, その場において両者が納得できるような近似解を探り当てるための作業だと思っています。できれば,より建設的な議論が展開されていきますよう願っております。
_ とりあえず私は, 明らかな間違いでもない限りお互いの主張がすれ違うのは, それぞれが設定している前提条件やその主張が成立する範囲が異なっているためだと思っています。
_ そして,そのお互いの前提条件や境界条件を確認し合い, 今問題となっている領域においてその両者の主張をどのように適用していけるかについて確認しあうという作業が「議論」と呼ばれるものだと思っています。
_ というわけで,なぜか私が否定しているように思われていてちょっと自分の文章の書き方を反省したのですが,とりあえず「未知の真理も求める価値がある」とトニオさんも考えてくださっていると言うことについては確認が取れたので目的の一つが達成されて喜んでおります。
_ 真理の有用性については,私の持っていた「有用」に対するイメージの指し示す範囲がトニオさんのイメージしていらした範囲よりもだいぶ狭かったようです。 まぁ,冷静に考えれば相対性理論だ何だと
ような話をしているわけですから, 普段私が追い求めているような
と思えるようなことに対しても, トニオさんの文章を読む限り有用性を認めてくださっているようなので 安心しました。一発で読み取れずに手を煩わせてしまってすいません。
*1: いや,まぁ前に話したGPS用衛星の時間遅れ補正とか, 何気に関わっていたりするわけではありますが。
_ 「発見された真理が神話として淘汰されない可能性」については, コメント欄での議論もかなり白熱していたようですが, 今現在得られている「法則」だの, 一応「原理」と呼ばれているものなんていうのは, 所詮そんなものだというのが自然科学に関わっている人間一般の認識 だと言うことをまずご理解いただければと思います。
_ あなたが「権威」として認識していらっしゃるニュートン物理学のように, 成立する領域に限界が存在することが明らかになる場合もあります。 また「地動説」のように, 新たに明らかになった現象を説明する上で, そのような認識が根本から間違っていることが明らかになる場合もあります。
_ 前者のように,今現在も限定された領域について有用であるとして用いられている場合はもちろんのこと, 後者のように結果的に認識が間違っていた場合においても, なぜそのような結論に一時は陥っていたのか,そこを打破するためには何が必要だったのか,という部分での知識の蓄積も今日の自然科学全般を支える礎となっています。
_ そして,先人たちが築いてくれたその土台の上に, 我々現代に存在する自然科学者たちも, 次の世代の土台となるべく日々精進しているつもりです。 できれば,そのこともご理解いただければと思います。
_ いや,でもなんかコメント欄での議論や,その後書かれていたことを読んでいると,なんかぱっと見 「究極の真理の存在を求め」て日々精進している自然科学側の私が 「現在の自然科学の無謬性を否定」し, 「究極の真理の存在を否定」しているトニオさんが 「現在の自然科学に無謬性を要求」している用に見えてしまってあれでそれ(^^;
_ なんというか,文章の端々から, いわゆる文系の方々が自然科学全般に対して持ってくださっている信頼感というか,期待感というのがありありと感じられてしまって, 「神ならぬ身の故……」などといつまで言い訳し続けられるのだろうか? と考えてしまいました。
_ 我々自然科学を探究する人間は, こういう期待があることをちゃんと胸に秘めて, もっと精進しないといけませんですね。
_ でも,その………,下世話な話であれなんですけど(^^;;;;
現時点ですでに自然科学の無謬性が確定しちゃったりなんかしたら
_ ああ,でも最後に一点。「科学が専制的な力をふるっている」とか, 「我々が科学に屈服している」という表現は非常にショッキングでした。 この「科学」という言葉の意味するところが「自然科学」などという狭い分野を指しているのではないと思いたいところなのですが,トニオさんの文章からは自然科学を前提とされているとしか読み取ることができませんでした。
_ 私たちは「自然科学の手の届く範囲を自然科学の方法論でどれだけ理解することできるのか」と言う点に力を注いでいます。そして,幸いにもその適用可能な範囲は順調に広がっているために,現在のような状態があると思っていますが, 今現在でも全く手のつけられない領域というのは確かに存在します。
_ その最たるものはトニオさんが専門とされている「人の心」の分野ですよね? 最近の脳科学の隆盛によって,脳の機能について様々な新しい理解が進んでいますが,とてもとても人の心の動きを自然科学的な手法で理解できるなどとは言える状況ではありません。
_ あまつさえ,たった一人だけの人間の心の動きさえ理解できないのですから, 集団になった場合の心の動きなんて,現時点ではとても理解できるわけがありません。
_ そしてそのような事象について,我々とは違った方法論で説き明かしていこうとしている哲学や心理学,社会学を専攻されている方々には尊敬の念を抱いていたので,トニオさんのような方からそのような発言が出てくると言うことは少なからずショックを受けました。
_ なぜこのような感想を持たれるに至ったのでしょうね? 我々自然科学に携わる人間は,この点をもっとも反省しなければならないと思います。
_ このところ長文ばかりで仕事は大丈夫なのか?とご心配してくださっている方もいるとは思いますが,一応それなりにはやっていたりします。
_ ってことで,これも本当に仕事なのか?と思いつつ, 一昨日から行われている隣の研究室主催の国際ワークショップで行われたラボツアーの引率とかをやらせてもらったわけなんですが……
_ 昨日,引率が13:30からなのでそれまでに準備を整えねば, ということで12:15ころから同僚を誘って昼食へ。
_ すると12:30ごろ社内用の内線PHSに着信が
私「はい,もしもし」 同期「あ,もしもし。まほぱぱ(仮名)さんですか?」 私「はい,そうです。なにかありました?」 同「今日ラボツアーの引率していただきますよね」 私「え?あれ??13:30集合って聞いていたんですけど,間違ってました?」 同「いえ,そうではなくて。今ランチミキサーをやっているのでご招待したいんですが,いかがですか?」 私「すいません。すでに半分以上食べ終わってます………」
_ とか,ラボツアーが終わったあとに実験(とかサッカー)を終えて, 居室に戻ると机の上になぜか山積みのサンドイッチが。
私「………,なに?これ」 同僚「さっき隣の研究室がおいてきましたよ」 私「なんで?(^^;」 同「ほら,お昼の時にランチミキサーやってるって言ってたじゃないですか」 私「あぁ,そういえば……」 同「で,本当なら出席してもらうはずだったからその分です,って言ってましたよ」 私「……………,どうひいき目に見ても残飯整理にしか見えないんだが(--;」 同「まぁ,そんなところですよね」 私「やっぱり?(^^;」 同「ありがたくいただいたらいいんじゃないですか?」 私「……,家に帰れば愛しい妻の作った温かいご飯がある(はず)んですけど(^^;」
_ などと,いろんな意味であれでそれ。
_ で,つい先ほどとどめの一撃
先輩「あ,まほぱぱ(仮名)くん」 私「なんでしょ?」 先「昨日引率やってもらったよね」 私「はい。」 先「そのお礼に今夜の懇親会へご招待しますので来てくださいね」 私「へ??」 先「時間は18:00から。場所はhogehoge。よろしくね」 私「………,よろしくって言われても(--;;;;;」
_
お願いだから,そう言う連絡は早め早めでお願いしますよ(T_T)
_ 二歳の誕生日を過ぎ,さらに語彙,文章構成力,自我レベルが上がってきて 面白さ75%増し(当人比)という感じのあいさん。
_ 今朝も
あい「(寝床で)あっち(=リビング)いくよー」 私「へ?(ねぼけまなこで)」 あ「あっち,いくよ〜。だっこ(で)いくよ〜(両手を広げてほほえみながら)」 私「ああ,はいはい(^^;;」
と,起動3秒ですでに元気。
私「おかあさん,ねぇね。おはよ〜」 あ「はよ〜〜」 私「どれ,じゃあこっちに座りましょうか。」 あ「やんやんやんやん」 私「ん??何が嫌なの?」 あ「あっち(=寝室),いくよ〜」 私「へ?まだ眠いの?」 あ「おきがえすゆ〜,だっこ(で)いくよ〜」 私「ああ,着替えを取りに戻るから抱っこで連れてけ,と」 あ「(両手を広げながらにっこりと)いくよ〜〜」
_ ってな感じが毎朝恒例なんですが, 先に起きているお母さんとお姉ちゃんに挨拶をした後で, 寝室にあるタンスの前へ行きます。
_ 往復抱っこさせられるお父さんとしては,
と何度か訴えたんですが, 聞き入れてくださるつもりはないようです(^^;;;;
_ で,無事にタンス前にたどり着いても これからがまた結構大変。
私「はい,どれにするの〜」 あ「えとね〜,えとね〜〜。こえ」 私「はいはい。じゃあ,下はズボンにする?スカートにする??」 あ「えとね〜〜,こえ」 私「いや,Tシャツ二枚着ても意味ないし」 あ「やんやんやんやん」 私「いや,やだって言われても二枚着たら暑いよ?」 あ「………,ばいばい」 私「はいはい,じゃあこっちの袖無しの肌着くらいにしておこうか」 あ「きゆ」 私「じゃあ,あとはこっちのズボンでいい?」 あ「やんやんやんやん。ないない。ば〜い」 私「じゃあ,これ??」 あ「やんやんやん……」 (以下略)
_ というやりとりを乗り越え,やっとのことで今日の御衣装を選び終わると, 当然次はお着替え。
あ「あいあい,すゆ〜」 私「はいはい,でもボタンだけは外してあげるからちょっと待て」 あ「ぬぎぬぎ………,できた〜〜」 私「はいはい,上手上手(^^;」 あ「まま〜〜,みって〜〜。ぬいぬいでったよ〜〜」 にょーぼ「あ〜,上手にできたね〜。残りもちゃんと脱ぎなさいよ〜(^^;;;;」 あ「はーい」
_ ここで下手に手を出そうものなら烈火のごとく怒り出すので, いちいちお伺いを立てつつ適当にお手伝い(^^;
私「はい,お父さんの方に掴まって……,そうそう足を入れて〜」 あ「あい!」 私「はい,できあがり。今日もかわいいよ〜」 あ「かぁいい?」 私「かわいいかわいい」
に「(^^;;; そうだねー,かわいいね〜〜」 私「(がっくり脱力)」 あ「(にんまりご満悦)あいあい。ごあん,たべゆ〜」
_ 今朝も我が家は平和です。
_
寝坊して焦っているゆうを除いて(^^;;;;;;
_ というわけで,悪い寝相の直し方募集です。
_ このところ暑くなってきたせいか, 日頃から悪かったゆうの寝相が大爆発。
_ 本来はにょーぼと私の間にゆうの布団があってそこで寝ているはずなんですが, 私が布団に行く頃には,普通に私と自分の布団に
わけです。
_ さらに夜中中ずっとそこらをごろごろ転がりながら寝ているので, 両親はもとよりあいのところも蹴飛ばしたり,かかと落としを喰らわせたりするわけです。
_ まぁ,元々一度寝たら目が覚めない方な私なんかは, 喰らっても気にならないんですが, さすがあいが喰らってしまうと,大騒ぎになるわけですね。
_ こうなると,両親二人でなだめたり牛乳のませたりしないと落ち着いてもう一度寝てくれない。で,蹴った本人は
状態なので,全く応えず(^^; 両親と妹の寝不足だけが日々蓄積されていくという。
_ まぁ,一応寝室へのエアコン導入の検討は始めたんですが…, なんかいい手段無いですかねぇ?(^^;;;;
_ と言うほどではないんですが, 三月頃に背中になにやらできもののようなものができていて, 時々かゆいなぁとは思っていたのですが, この二週間くらいで妙に大きくなってきて, 昨夜くらいから布団に横になると痛むようになってしまったので, 諦めて整形外科に首の牽引をされに行くついでに, 隣の皮膚科へ。
私「かくかくしかじかこういうわけでして」 医者「なるほど,じゃあちょっと見せて」 私「はい(シャツをまくり上げながら,くるりと振り向く)」 医「(0.5秒)ああ,はい。わかった。着ていいよ。痛いでしょ,これ」 私「(へ?早いな)ええ,この二三日はちょっと……」 医「えっと,あなたの症状は……」
といいつつ,すらすらとイラストを描きながら病気の説明開始。
_ 話によると,背中のこいつは「化膿性粉瘤」と言うものだそうな。
_ こいつは元々皮膚の一部がへこんでくっついてできた空洞の中に角質(=あか?)がたまってしまう「粉瘤」という病気が, 中の空洞が何かの拍子に破れて化膿してしまったものらしい。
私「とすると……,やっぱり切開とかして膿を出すわけですか?」 医「そう。今やれるのはここ(=絵の中の空洞部)に穴を開けて中の膿やら角質やらのゴミを出してあげることだけ」 私「そうすると治るわけですか?」 医者「そう。この切開で
から」
私「は?まれに??」 医「そう。まれに」 私「………,となりますと通常は?」 医「普通は袋は残ったままになるから,
になるよ」
_ おいおい,そんなあっさり言うなよ(^^; とか思いつつ
私「とすると,また切開ですか?」 医「いや,また化膿しなければ痛みはなくてしこりだけで済むと思うけど」 私「はぁ,じゃあ様子見ですか?」 医「いや,遅かれ早かれまた化膿はすると思うから,
私「え?手術??」 医「まぁ,手術と言っても簡単だよ。局所麻酔して切って周りごと袋取って縫うだけだから」 私「は,はぁ」 医「とりあえず炎症起こして痛みがあるうちは手術できないから今日は無理だけどね」 私「はい」
_ というわけで,施術開始。
_ 一応局所麻酔を打たれてさくさくっと切られて,中身をぐいぐいと絞り出されました。
医「あれ?」 私「え?なんですか?」 医「いや,なんか今出てきたの袋っぽいなって」 私「え?」 医「まぁ,『ぽい』とか言われても困るよねぇ」 私「は,はぁ……」 医「ああ,でもなんとなくそれっぽいから。君かなりラッキーかもよ?」 私「あ,……ありがとうございます(^^;;;」
_ なんつーか,手際の良さとか判断の速さとか説明のわかりやすさから見る限り, 結構いい医者に当たったのかなぁ?とか思ってしまったりもするんですが, 見た目60前後っぽいのにやたらノリが良くてちょっとびびってしまったりとか(^^;;;
_ あ〜,でもとりあえず
_ よその部署に行って会議。
_ で,その合間にざうをつなごうと思ったら, 会議室の無線LANに入れなくて惨敗。
_ しかたがないので,昔のように自宅鯖にbitwarp接続しようと思ったら, そういえばこの間sargeにあげたら外部接続ができなくなった件を解決するのを忘れていたので,敗北。
_ ということで,ちょっと悔しかったので, ざうからもbitwarp経由で職場内ネットワークにつなげるように 設定をふにふにと。
_ っつーことで,無事成功。
_ って,つないだ先のログインメッセージがなんというか……,え?
_ まぁ,とりあえず無事社内の俺鯖につないだり, メールの読み書きができたのでとりあえず桶。
_ これで出勤簿ページもアクセスできれば(以下略
_ 7月の末にある職場の一般公開で, 色に関するあれこれを小中学生向けに展示することになった。
_ ということで,昨夜 こちらの「コンパクトディスクを使ってスペクトルを観察しよう」からネタを拝借して,CDをグレーティングに使った分光器をふにふにと作成。
_ ちょっと失敗してサイズを一回り小さく作ってしまい, CDをきっちり突っ込むと箱が壊れかけてしまう状態になってしまったんだが, とりあえず見えるようなので,いろいろ実験。
_ まずその辺の蛍光灯をみてみると,なにやらまだらなスペクトルが。
_ まぁ,グレーティングと言ってもそれほどでもないからこんなもんなのかな? と思いつつ,白熱電球をみてみると
私「おおっ!さっきのは蛍光灯の輝線スペクトルか!」 にょーぼ「ん?どうしたの?」 私「いや,ほれ。ちょっと見てごらん。全然違うから」 に「どれどれ?へ〜」 私「結構違って見えるでしょ?」 に「ほんとだね」
_ とひとしきり見せたところで,ふと思い立ってテレビの画面を光源にしてみる。
私「お〜〜〜!」 に「ん?今度はどうしたの?」 私「すごいぞ,っていうか当たり前だけど
すげ〜,ほんとにこの三色だけでフルカラー表現してるんだ」
に「どれどれ?あ,ほんとだ。」
私「液晶ディスプレイだとどうなんだろ?」
に「どう?」
私「う〜ん,いまいち暗くてよく見えない。」
に「そうなの?」
私「どっちかっていうと,反射した蛍光灯の光が見えてるっぽいなぁ」
に「ふ〜ん」
私「ああ,でもここの説明見る限りだと,フィルターで色を制御しているみたいだから,ブラウン管より弱くて当然なのかも」
に「なるほどねぇ」
_ などと夫婦二人でわいわいと
_ で,今朝。さっそく満を持してゆうに体験させるべく あっちやこっちに連れて行っていろいろ見せてみる。
私「どう?結構違うでしょ」 ゆ「ほんとだ。へ〜」 私「面白い??」 ゆ「まぁ,面白いと思うけど……」 私「『けど』?」 ゆ「私,こんなのじゃなくてもうちょっと色が付いてるとかちゃんとした箱の方がいいなぁ」 私「………,これ練習用だし」 ゆ「この間いろんな色の工作用紙買ってたよね?」 私「あんたにあげるときは色つきの作ってあげるから(--;」 ゆ「じゃあ,黄色か赤でよろしく〜」 私「はいはい」
_ ………,本番でちゃんと受けるかどうか心配になってきた(^^;
_ 先日前の職場に置いてきた荷物を送ってもらったわけなんだが, 金では買えない試料が送られてこなかったので 「あっちはどうなってましたっけ?」と聞いたら,
という涙の出そうな回答が(T_T)
_ で,一応メールで説明をしていたんだけれども, 今日になって「全然わかんない」と電話が…。
_ しかたがないのでかくかくしかじかと, あっちを出てくるときにした説明を再度したんだけれども 全く要領を得ず。
_ 挙げ句の果てに「本当に今すぐ必要なの?」とか言い始めたので, もうこれ以上は無理と判断。
「そっちに行く用事があったら,その時にでも引き取ります」
とだけ伝えて,電話断。
_ …………,いいや。またどっかにお願いして手に入れる算段でもするか。
_ ということで,昨夜にょーぼと色々相談。
_ で,結果としてとりあえず最優先は寝室のエアコン。 あとちゃんと就職して初めての某茄子なんだから, 今さらだけど双方の両親になんか送ろうか? と言う話の流れになって,じゃあ旅行券でも送ろうかねぇ。などと。
_ でも,そうなると学資保険の方がきつくないか? と言う話になったんだけど,どうやらそっちの方は大丈夫らしいと言うことで, その三件は承認。と。
私「となると……,お父さんの(自転車を……)」 にょーぼ「ああ,あともう一つ」 私「え?何かあったっけ??」 に「来月ゆうの幼稚園の同窓会に私たち三人で行くでしょ?」 私「あぁ……」 に「最初は四人で車に乗っていくつもりだったからあれだったけど…」 私「俺に予定が入ったから,三人で往復飛行機になっちゃったもんねぇ」 に「その旅費をこっから工面しないと結構辛いんだけど……」 私「………,しかたないねぇ(^^;」
_ というわけで,お父さんの自転車はやっぱり風前の灯火だったり(^^;
_ しくしく
_ とか言いつつ,機種選択する過程が何を買うにも一番楽しいことなので, その楽しみだけは捨てずに色々妄想。
_ で,その結果,前回市場調査した時にだめ出ししたミニベロ系が再浮上。
_ というのも,お父さんのやってみたいことの一つとして
と言うのがあったりするのですな。
_ となると,先日候補にあげたクロスバイクでびゅんびゅん飛ばすというのもかなり魅力的ではあるんですが,ああいうので子供やにょーぼと一緒にのんびりゆっくり走れるのかしら?と言うそこはかとない疑問があるわけですよ。
_ で,先日乗ってみたミニベロはフレームサイズが410と言うことだったので, そうなると430位のものならもう少し楽に乗れるのかなぁ?と。
_ で,ちょこちょこ調べてみて何となく気になっているのが
_
本当は実物が見られればいいんだけどなぁ〜(^^;
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